isumu 学芸員さんに聞きました

なかなかお会いできない学芸員の方にお話を伺うブログです

Vol.2 長谷寺 観音ミュージアム 宗藤健さん

博物館や美術館で活躍する学芸員の皆さんに、おすすめの収蔵品やお仕事について伺う「学芸員さんに聞きました」。

第2回目は、鎌倉長谷寺観音ミュージアム学芸員、宗藤健さんです。

(以下、宗藤さんのお話)

 

当館所蔵の像の中で私のイチオシ像はこちら、「木造 弁才天坐像」です。

江戸時代の長谷寺の略縁起に、大黒天と並び「弘法大師御作の像」と記されているものと考えられます。

「もともと長谷寺の岩屋に安置されていた」と書かれていて、岩屋というのは下の境内の洞窟、弁天窟のことだと思われます。  

 

木造 弁才天坐像 観音ミュージアム所蔵

 

ふっくらとしたお顔や粘り気のあるような衣文など、個人的には江戸時代にたくさん造られ定型化したお人形っぽい弁天様とは少し違っているような気がしていて、室町時代後期あたりまで遡ることができるのではないか、とも思っています。

近世の八臂弁才天には表現が強いものが多いのですが、顔立ちが端正でバランスも良く、彫刻としてのスキのなさ、破綻のなさが全体から見てとれますね。

洞窟という極めて湿度の高い場所にあったにもかかわらず保存状態がとても良く、そのまま安置されていたとは考えにくいので、祠のようなものを作り、さらに厨子を置いて、その中に安置していたのではないかと思います。

 

厨子の中が良く見えるようにレフ版を置くのも学芸員の方のアイデア

いろいろな持物を持っていますが大半は後補だと思います。

左手第一手の四角い物は財福を象徴する鍵で、弁才天=弁「財」天信仰に何が求められていたのかがよく分かりますね。

精緻につくられた宝珠型の頭飾や鳥居は、おそらく当初のものではないでしょうか。

 

今の弁天窟には近代に彫刻された弁才天と15人の童子の浮彫がありますが、その前にはこちらの出世弁才天が置かれていたのではないかと思います。

「出世」という言葉はもともと仏教的には「世間を出る=出家して悟りを得る」という意味で、出家した人たちを励ます神様というのが本来でしょう。

江戸時代には現代の用法通り「立身出世」の意味を持ち、それを願う庶民の神さまになっていたんでしょうね。

 

こちらは弁天窟横の、八臂弁才天が祀られる弁天堂

 

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当館は2015年に長谷寺宝物館から現在の観音ミュージアムにリニューアルしました。

これは単に長谷寺の宝物をお見せしますよというのではなく、もっと広く観音信仰に関する博物館として、それにまつわる情報や遺物を収集、蓄積、調査研究し、その成果を発信することを目指したものです。

 

 

長谷寺の境内にあるのでお参りのあとにいらっしゃる方も多く、そうした意味で当館は一般の博物館と異なり、信仰の場としての機能を兼ね備えているといえます。

当館の起源は明治時代の宝物陳列所に遡るので、当初はお参りの場としての性格が濃かったのではないでしょうか。

鑑賞される方のお気持ちによって、それぞれにありがたみを感じていただければいいのではないかと思います。

 

ミュージアムグッズのデザインも手がける宗藤さん。

「夜光るかのんちゃん御朱印」(写真右)は、自作のイラストが蓄光塗料で光る。

 

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展覧会などへ行くと、例えば天井だったり、展示ケースの隅のほうを見てしまうのは「学芸員あるある」かも知れません。

照明やパーテーションの仕切り方、電気の供給源、キャプションの出し方や素材などなど……お金がかかっている感じだと羨ましく思います(笑)。

展覧会ではメモを取りながら見ることも多いのですが、考古学の人が野外の調査でよく使う「野帳」という緑の表紙の固いノートを使っています。

野帳ミュージアムグッズとしていろいろな館で作られていますが、見ると欲しくなってしまって必ず買いますね。

 

宗藤さん愛用の野帳

 

2019年に館の業務の一環として、坂東三十三所のデータベース作りに携わらせていただいたのをきっかけに、2020年に『吾妻鏡』の観音巡礼関係記事に関する論文を発表することができました。

それ以来、主に東日本をフィールドとして、文字で書かれた説話や縁起と、巡礼や造像との関係についての研究を続けています。

おかげさまで2023年度は、鹿島美術財団の「美術に関する調査研究助成」に採択していただくことができました。

若手研究者の登竜門的な助成制度なので、この機会に東国の観音信仰についての研究を進展させたいと考えています。

 

霊験寺社のご縁起というのはバリエーションがたくさんあって、江戸時代の版本(印刷されたもの)や鎌倉・室町時代の写本など形態もいろいろで、内容も多岐にわたります。

 

 

勧進、布教のために作られたものなので、昔の時代のものにしては割と読みやすい字で書かれていることが多いんです。

人びとが神仏に何を期待していたのかがすごくリアルに分かるし、似たようなお話のパターンが見えてくると、あそことここは信仰圏がつながっているのかなとか、また説話に描かれた人物のエピソードを通して各時代の人間の理想像を見ることができるのが寺社縁起の面白いところですね。

どの時代も生活の悩みや苦労があって、それを救ってもらう神仏にはこういうパワーを持った存在であって欲しいとか。

それぞれ自分の境遇に重ね合わせ、何かしら生きる力みたいなものをもらっていたんだろうなと想像しています。

 

<プロフィール>

 

宗藤健

観音ミュージアム学芸員

1985年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了、2017年より現職。