isumu 学芸員さんに聞きました

なかなかお会いできない学芸員の方にお話を伺うブログです

Vol.5 鎌倉国宝館 石井千紘さん

鎌倉観光いちばんの人気スポットである鶴岡八幡宮。いつも多くの人で賑わう境内の一角で、閑静でレトロな佇まいを見せているのが鎌倉国宝館です。

中世以降の資料を中心に6000点にものぼる収蔵品を誇る、歴史ある博物館です。

こちらで学芸員をされている石井千紘さんに話をうかがいました。

(以下、石井さんのお話)

 

賑わう境内の一角に静かに佇む鎌倉国宝館

 

鎌倉国宝館は鎌倉市が所管する文化施設の一つです。

大正12年関東大震災の後、文化財の保護のため、鎌倉にも東京や京都のような博物館が必要だとして、鎌倉同人会をはじめとした多くの方々からの寄付を受け、昭和3年にオープンしました。

今年で開館95年を迎える、日本でも特に古い博物館の一つです。

主に鎌倉とその周辺地域の寺社に伝わる作品をお預かりしています。

つい先日も円覚寺さま(鎌倉市山ノ内)から色々な資料をお預かりしたところで、今なお収蔵品が増えている状況です。

収蔵資料の多くが寄託品で、市内外合わせて50以上の寺社が当館に資料を預けてくださっています。

鎌倉は禅宗や浄土経系の寺院の多いところですので、それらにまつわる資料が豊富です。

 

大正から昭和にかけて活躍した工芸家 小川三知の手によるステンドグラス

 

展示場のある本館自体も国の登録有形文化財になっています。

高床式校倉造風の、正倉院を模した外観になっているところが特色です。

入口のドアに嵌め込まれたステンドグラスは、小川三知(おがわさんち)という工芸家が、当時の鎌倉町の星月の町章をモチーフに作成したものです。

 

館内には中世の仏像がズラリと並ぶ

 

当館で私が一番お勧めしたいのは、こちらの十二神将立像です。

中央の薬師三尊像と一緒に、鎌倉市大町の辻薬師堂に祀られていたもので、平成5年に鎌倉市に移管され、当館の所蔵品になった後、14年もの歳月をかけて修理をし、今こうして平常展示の要となっています。

中尊の薬師如来像と脇侍の日光菩薩月光菩薩像、そして十二神将像は、もともと一具として造られたものではありません。

薬師如来平安時代、日光・月光菩薩は江戸時代、十二神将のうち8軀は鎌倉時代、4軀は江戸時代の作です。

薬師如来像には鎌倉の東光寺という寺の本尊であったことを示す銘札が入っていました。その後名越にあったという長善寺へ、そして辻薬師堂へ移ったという経緯がありますが、造立の由来などは不明です。

 

十二神将立像のうち巳神像

 

十二神将像の像高はおおよそ140センチ前後と比較的大きく、眷属像がこれだけのサイズということは、この像たちが取り巻いていた当初の本尊像も相当大きかったはずです。

それなりの由緒をもつお寺にお祀りされていた像だと考えられますが、それがどこなのか分からないのは少し寂しい気もしますね。

鎌倉時代の8軀は、年輪年代測定と様式によって13世紀の半ばくらいの制作であることが分かっています。

これだけ立派な像が現在まできちんと残されているのはすごいことです。

 

肉が盛り上がる背中

 

この像を後ろから見ると、肉がベルトの上に乗っている感じがちゃんとあるんです。

 

身体から浮く胸当てのパーツ

 

それから胸甲の端が身体から浮くように作られているのもポイントです。

固いものは固く、やわらかいものはやわらかくきちんと造形され、しっかり手を掛けて造ろうとしていたことが見て取れます。

 

十二神将立像のうち戌神像

 

イチオシはこの戌神像ですね。

かっこいい像は他にもたくさんありますが、その中でも鎌倉らしい伝承(*注)に関係している像です。

十二神将では、このようにはっきりとした巻き毛も珍しいし、外国人のような彫り深い顔も特徴的です。

顔も小さくてプロポーションもいいですね。

昨年のNHK大河ドラマに、こちらと覚園寺さま(鎌倉市二階堂)の戌神像を参考にして作った仏像が登場するシーンがあったので、ぜひモデルとなった像の実物をご覧いただきたいです。

 

*注:北条義時の戌神将伝説

鎌倉幕府二代執権の北条義時は、建保6(1218)年7月8日、三代将軍源実朝鶴岡八幡宮参拝に従行しました。するとその晩、夢に戌神将が現れ「来年の拝賀には随行しないように」と告げました。義時は自身の安全を願い、翌日に薬師如来を本尊とした堂の造営を命じ、落成したのが後に覚園寺となる大倉薬師堂です。

年が明け、1月に再び実朝の拝賀式が催され義時も同行しますが、楼門に入る際に気分が悪くなったため屋敷へ帰り、実朝はここで甥の公暁によって暗殺されてしまいます。お告げにより襲撃の難を逃れた義時は、大倉薬師堂の戌神将を一層篤く敬ったといいます。

 

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仏像そのものも好きですが、それを造った仏師に興味があって、大学院では仏師 善円・善慶について研究しました。

途中で改名したことのわかっている珍しい仏師なので、その改名の背景や、それによって作風が変わったのか、といったことを調べていました。

 

善円の作とされる仏像をモデルとしたイスムTanaCOCORO[掌]文殊菩薩

 

最初、善円と善慶は活動時期や作風が近くて、しかも名前に同じ「善」の字が入っていたので、親子だと思われていたんですね。

そこに善円の生年が書かれた作品が見つかり、もともと生年のわかっていた善慶と同年だということで、善円と善慶が同一人と考えられるようになりました。

改名の理由は分かっていませんが、「慶」の字が付く名になった時に、法橋位も得ていることが重要だと思います。

仏師に与えられる「僧綱位」という称号(法橋・法眼・法印)があるのですが、これを得ることのできる立場にならなければいけない、もしくはなりたい事情があって改名したのではないかというのが私の説です。

当時、僧綱位にあった仏師は、三派(注:円派・院派・慶派)に属する者に限られていたことが分かったので、正統な慶派仏師となり「慶」の字がつく名に改め、はじめて法橋位を得ることができたのではないかと考えています。

 

善円に興味を持ったのは、2012年に金沢文庫で開催された「解脱上人貞慶-鎌倉仏教の本流-」という展覧会で出会った十一面観音菩薩立像(奈良国立博物館所蔵)のあまりのかわいらしさに衝撃を受けたことがきっかけです。

 

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学芸員文化財の調査・研究をすることや、展覧会を企画して資料の価値を周知することが本分ですが、当館は今、正職員では学芸員が私一人という状態なので大変です。

ここまで少ないと非常に心もとないのですが、他の職員と一緒に、大きなものから小さなものまで、年中何かしらの展覧会の準備をしています。

 

石井さんが作成した展示キャプション

 

展示の企画書やキャプション、図録などの文章を書くこと自体は好きなのですが、なにぶん書くスピードが遅いので苦労します。

「これで伝わるかな?」と思いながら、書いては消して、書いては消しての繰り返しで、産みの苦しみを感じながら書いています。

 

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鎌倉国宝館では、2023年10月から小田原の宝金剛寺(ほうこんごうじ)の寺宝を集めた展覧会を予定しています。

寺外初出陳の資料や平安時代の貴重な仏像にお出ましいただく予定なので、ぜひ皆さんに来ていただきたいですね。

 

2023年7月2日(日曜日)まで、仏画を楽しく学べる「仏画入門 ーはじめまして! 仏教絵画鑑賞ー」を開催中!

 

<プロフィール>

石井千紘 (いしいちひろ

鎌倉国宝館学芸員

1989年生まれ 青山学院大学大学院文学研究科比較芸術学専攻博士後期課程単位取得済退学

令和元年10月より現職。