isumu 学芸員さんに聞きました

なかなかお会いできない学芸員の方にお話を伺うブログです

Vol.5 鎌倉国宝館 石井千紘さん

鎌倉観光いちばんの人気スポットである鶴岡八幡宮。いつも多くの人で賑わう境内の一角で、閑静でレトロな佇まいを見せているのが鎌倉国宝館です。

中世以降の資料を中心に6000点にものぼる収蔵品を誇る、歴史ある博物館です。

こちらで学芸員をされている石井千紘さんに話をうかがいました。

(以下、石井さんのお話)

 

賑わう境内の一角に静かに佇む鎌倉国宝館

 

鎌倉国宝館は鎌倉市が所管する文化施設の一つです。

大正12年関東大震災の後、文化財の保護のため、鎌倉にも東京や京都のような博物館が必要だとして、鎌倉同人会をはじめとした多くの方々からの寄付を受け、昭和3年にオープンしました。

今年で開館95年を迎える、日本でも特に古い博物館の一つです。

主に鎌倉とその周辺地域の寺社に伝わる作品をお預かりしています。

つい先日も円覚寺さま(鎌倉市山ノ内)から色々な資料をお預かりしたところで、今なお収蔵品が増えている状況です。

収蔵資料の多くが寄託品で、市内外合わせて50以上の寺社が当館に資料を預けてくださっています。

鎌倉は禅宗や浄土経系の寺院の多いところですので、それらにまつわる資料が豊富です。

 

大正から昭和にかけて活躍した工芸家 小川三知の手によるステンドグラス

 

展示場のある本館自体も国の登録有形文化財になっています。

高床式校倉造風の、正倉院を模した外観になっているところが特色です。

入口のドアに嵌め込まれたステンドグラスは、小川三知(おがわさんち)という工芸家が、当時の鎌倉町の星月の町章をモチーフに作成したものです。

 

館内には中世の仏像がズラリと並ぶ

 

当館で私が一番お勧めしたいのは、こちらの十二神将立像です。

中央の薬師三尊像と一緒に、鎌倉市大町の辻薬師堂に祀られていたもので、平成5年に鎌倉市に移管され、当館の所蔵品になった後、14年もの歳月をかけて修理をし、今こうして平常展示の要となっています。

中尊の薬師如来像と脇侍の日光菩薩月光菩薩像、そして十二神将像は、もともと一具として造られたものではありません。

薬師如来平安時代、日光・月光菩薩は江戸時代、十二神将のうち8軀は鎌倉時代、4軀は江戸時代の作です。

薬師如来像には鎌倉の東光寺という寺の本尊であったことを示す銘札が入っていました。その後名越にあったという長善寺へ、そして辻薬師堂へ移ったという経緯がありますが、造立の由来などは不明です。

 

十二神将立像のうち巳神像

 

十二神将像の像高はおおよそ140センチ前後と比較的大きく、眷属像がこれだけのサイズということは、この像たちが取り巻いていた当初の本尊像も相当大きかったはずです。

それなりの由緒をもつお寺にお祀りされていた像だと考えられますが、それがどこなのか分からないのは少し寂しい気もしますね。

鎌倉時代の8軀は、年輪年代測定と様式によって13世紀の半ばくらいの制作であることが分かっています。

これだけ立派な像が現在まできちんと残されているのはすごいことです。

 

肉が盛り上がる背中

 

この像を後ろから見ると、肉がベルトの上に乗っている感じがちゃんとあるんです。

 

身体から浮く胸当てのパーツ

 

それから胸甲の端が身体から浮くように作られているのもポイントです。

固いものは固く、やわらかいものはやわらかくきちんと造形され、しっかり手を掛けて造ろうとしていたことが見て取れます。

 

十二神将立像のうち戌神像

 

イチオシはこの戌神像ですね。

かっこいい像は他にもたくさんありますが、その中でも鎌倉らしい伝承(*注)に関係している像です。

十二神将では、このようにはっきりとした巻き毛も珍しいし、外国人のような彫り深い顔も特徴的です。

顔も小さくてプロポーションもいいですね。

昨年のNHK大河ドラマに、こちらと覚園寺さま(鎌倉市二階堂)の戌神像を参考にして作った仏像が登場するシーンがあったので、ぜひモデルとなった像の実物をご覧いただきたいです。

 

*注:北条義時の戌神将伝説

鎌倉幕府二代執権の北条義時は、建保6(1218)年7月8日、三代将軍源実朝鶴岡八幡宮参拝に従行しました。するとその晩、夢に戌神将が現れ「来年の拝賀には随行しないように」と告げました。義時は自身の安全を願い、翌日に薬師如来を本尊とした堂の造営を命じ、落成したのが後に覚園寺となる大倉薬師堂です。

年が明け、1月に再び実朝の拝賀式が催され義時も同行しますが、楼門に入る際に気分が悪くなったため屋敷へ帰り、実朝はここで甥の公暁によって暗殺されてしまいます。お告げにより襲撃の難を逃れた義時は、大倉薬師堂の戌神将を一層篤く敬ったといいます。

 

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仏像そのものも好きですが、それを造った仏師に興味があって、大学院では仏師 善円・善慶について研究しました。

途中で改名したことのわかっている珍しい仏師なので、その改名の背景や、それによって作風が変わったのか、といったことを調べていました。

 

善円の作とされる仏像をモデルとしたイスムTanaCOCORO[掌]文殊菩薩

 

最初、善円と善慶は活動時期や作風が近くて、しかも名前に同じ「善」の字が入っていたので、親子だと思われていたんですね。

そこに善円の生年が書かれた作品が見つかり、もともと生年のわかっていた善慶と同年だということで、善円と善慶が同一人と考えられるようになりました。

改名の理由は分かっていませんが、「慶」の字が付く名になった時に、法橋位も得ていることが重要だと思います。

仏師に与えられる「僧綱位」という称号(法橋・法眼・法印)があるのですが、これを得ることのできる立場にならなければいけない、もしくはなりたい事情があって改名したのではないかというのが私の説です。

当時、僧綱位にあった仏師は、三派(注:円派・院派・慶派)に属する者に限られていたことが分かったので、正統な慶派仏師となり「慶」の字がつく名に改め、はじめて法橋位を得ることができたのではないかと考えています。

 

善円に興味を持ったのは、2012年に金沢文庫で開催された「解脱上人貞慶-鎌倉仏教の本流-」という展覧会で出会った十一面観音菩薩立像(奈良国立博物館所蔵)のあまりのかわいらしさに衝撃を受けたことがきっかけです。

 

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学芸員文化財の調査・研究をすることや、展覧会を企画して資料の価値を周知することが本分ですが、当館は今、正職員では学芸員が私一人という状態なので大変です。

ここまで少ないと非常に心もとないのですが、他の職員と一緒に、大きなものから小さなものまで、年中何かしらの展覧会の準備をしています。

 

石井さんが作成した展示キャプション

 

展示の企画書やキャプション、図録などの文章を書くこと自体は好きなのですが、なにぶん書くスピードが遅いので苦労します。

「これで伝わるかな?」と思いながら、書いては消して、書いては消しての繰り返しで、産みの苦しみを感じながら書いています。

 

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鎌倉国宝館では、2023年10月から小田原の宝金剛寺(ほうこんごうじ)の寺宝を集めた展覧会を予定しています。

寺外初出陳の資料や平安時代の貴重な仏像にお出ましいただく予定なので、ぜひ皆さんに来ていただきたいですね。

 

2023年7月2日(日曜日)まで、仏画を楽しく学べる「仏画入門 ーはじめまして! 仏教絵画鑑賞ー」を開催中!

 

<プロフィール>

石井千紘 (いしいちひろ

鎌倉国宝館学芸員

1989年生まれ 青山学院大学大学院文学研究科比較芸術学専攻博士後期課程単位取得済退学

令和元年10月より現職。

Vol.4 鳥取県立博物館 福代宏さん

日々、貴重な文化財の収集や調査研究、管理、展示を行う学芸員さんに、お仕事内容やイチオシの収蔵品についてお話しいただく「学芸員さんに聞きました」。

第4回目は、鳥取県博物館学芸課人文担当の福代宏さんの登場です。

(以下、福代さんのお話)

 

鳥取県の総合博物館として昨年、開館50周年を迎えた当館は、県内の歴史・民俗、自然、美術の3分野を紹介展示しています。

 

昭和47年10月、久松山下鳥取城跡内にオープンした鳥取県立博物館

 

実は令和7年春、県中部の倉吉市に新たに県立美術館が開館することになりました。

この美術館の開館した後、当館は自然と歴史・民俗中心の施設になります。

美術館では近現代の美術を中心とした展示を行いますが、仏教美術関連については所有する寺院・神社さまの意向を受け、県中部エリアの社寺さまのものは美術館で、東部エリアの社寺さまのものは引き続き当館で保管・展示する予定です。

それまでの間であれば当館ですべて見ることができるかというと、現在は美術館の開館準備のため当館の美術常設展示室は閉鎖され、仏教美術や仏像を見られる状態ではありません。

そんな中ではありますが、イチオシであるこちらの蔵王権現像は、ご来館いただければいつでも見ていただけます。

 

 

この像は、三仏奥之院[投入堂]の安置とされ「正本尊」と呼ばれる、国重要文化財の像を等身大で複製したもので、投入堂の模型とともに歴史・民俗展示室に常設展示しています。

複製像ではありますが大変精巧に作られています。

平成17年、当時まだ珍しかった三次元計測を用いて三佛寺でデータを取り、光(ひかり)合成という技術で原型を作成し、さらに模刻の技術者が雌型を作り調整を施したものです。

 

 

エポキシ樹脂とガラス繊維を組み合わせた強化樹脂(FRP)で作られた本体に、金箔、白土、アクリル絵の具等を用いて彩色を施し、実物そのもののような質感や迫力を表現しています。

照明に照らされたガラス越しの姿は、まさに木彫のように見えると思います。

 

「日本一危険な国宝」とも称される三佛寺奥院投入堂

 

現在、鳥取県の国宝は3件のみで、うち2件は東京国立博物館に寄託されています。

そのため鳥取県で見られる唯一の国宝が、三仏寺奥院の[投入堂]となります。

現在では附(つけたり)として投入堂の棟札・古材も追加で国宝指定されています。

その投入堂に祀られていた三徳山の本尊・蔵王権現は、像自体が旧国宝であり、鳥取県を代表する仏像であると思います。

また、この像は、X線透過撮影で像内に木札と巻物のような影があることがわかっています。

もし納入物が調査され、歴史的な発見があればさらに価値が高まるかもしれません。今後科学技術が発展し、破壊せずに分析できるような技術が進んだら、ですが……。

 

投入堂本尊をみうらじゅん氏とイスムのコラボで製品化したTanaCOCORO[掌] 蔵王権現 

 

国宝[投入堂]を有する三徳山と、中腹に大山寺を有し伯耆(ほうき)富士と称される大山(だいせん)。

この二つの霊山は鳥取県が全国に誇る歴史ある山です。

研究者を集めさらに調査研究が進むことを目的に、私が理事を務める日本山岳修験学会では両山で学術大会を開いたこともあります。

 

日本山岳修験学会 学術大会の様子

 

日本山岳修験学会とは修験道の学術的な研究を行う会で、山岳信仰や修験に関心を持つ方々で広く構成されています。

半分が学者さん、半分は社寺の関係者や宗教者ですが、単に山が好きという方も参加しています。

実際に行をする方もいて、その行にどんな意味があるのか理解を深め、フィールドワークに活かす方もいらしゃるんですよ。

 

伯耆富士と呼ばれる霊峰 大山

 

修験学会では全国の霊山や神社仏閣にお邪魔できることも魅力です。

「学会」といっても閉鎖的でハードルの高いものではなく、公開講座などは一般にも開かれてます。

ちょっと話を聞いてみたいと参加する方もいるので、興味のある方はぜひ山岳修験学会のホームページをご覧ください。

 

私はこの他に、山陰民俗学会、鳥取民俗懇話会、伯耆文化研究会といった地域の研究活動にも参加しています。

民俗学が専門なので、「人が生きていくうえで何を頼りにしていたか?」というところに興味があり、人びとの信仰世界を深く知りたいという思いがこうした活動に結びついてきました。

 

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学芸員あるある」といえば、月並みなんですけど「まず体力」(笑)。

と言いますのも、大山や三徳山など現地の山寺に行く機会が多く、しかも借用を前提とした調査となるとたくさんの荷物を担いで上がらないといけません。

何か忘れ物をすれば往復することになりますからね(笑)。

やはり、今は人気(ひとけ)ない山深いところにこそ古い文化財が遺されてるということもありますので、かなり鍛えられるといいますか、体力は必要になりますね。

 

摩崖仏の調査風景

 

ちなみに、「日本一危険な国宝」と呼ばれる[投入堂]。

私は残念ながら入っていませんが、近年の修復時に関係者による調査が行われています。

この投入堂、基本的に身舎(もや)正面の扉は神様のもので内開きになっており、東隣の愛染堂に続く庇(濡れ縁)に取り付けられた立格子も動かないもので、人間が進入するものではありません。

昭和初期までは自己責任で、崖に張り付いて登る人もあったようですが、現在では崖の手前に防護柵を設けて手前で拝観することになっています。

 

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その他の当館の見どころとしては自然分野で、全長約7メートルくらいのダイオウイカのホルマリン標本が自然展示室に鎮座しています。

リュウグウノツカイのはく製標本もあります。

 

開館50周年を迎え古びた施設ではありますが、当館が立地する鳥取城跡のある久松山は、かつて羽柴(豊臣)秀吉に「鳥取の渇え殺し」という兵糧攻めを受けた歴史ある山です。

また、自然環境も豊かなロケーションで、鳥取県の歴史や自然がギュっと凝縮した、県外の方にも鳥取県を感じていただけるような施設となっております。

ぜひ軽い気持ちでご来館いただければと思います。

 

 

<プロフィール>

福代 宏(ふくしろ ひろし)

鳥取県立博物館 学芸課 人文担当

1968年生まれ。埼玉大学教養学部教養学科卒業。平成5年より現職。

 

日本山岳修験学会(理事)

山陰民俗学会(理事)

鳥取民俗懇話会(副会長兼事務局長)

伯耆文化研究会(理事)

Vol.3 横浜市歴史博物館 花澤明優美さん

弥生時代の環濠集落、大塚・歳勝土遺跡公園に隣接する横浜市歴史博物館
原始(縄文時代)から近現代までの横浜の通史を展示する博物館です。

こちらで美術(彫刻)担当として勤務する花澤さんにお話を伺いました。

(以下、花澤さんのお話)

 

当館に仏像は多くないのですが、常設展でいつでも見られるのがこちらの十王像と奪衣婆(だつえば)像です。

 

 

横浜市港北区の興禅寺(こうぜんじ)というお寺にあった像で、慶長3(1598)年制作のものであることが分かっています。
修理が必要なため本物は収蔵庫にあって、今は複製を展示しています。
十王というのは人の死後、生前の行いを裁く十人の審判で、奪衣婆は死者の死装束をはぎ取る老婆の鬼です。
 

生前の行いを断罪する檀拏幢(だんだどう)

 

左上にあるのは檀拏幢と言って、閻魔大王のシンボルです。
死者の罪が重いと憤怒の男相の口が火を噴き、善行が多いと柔和な女相から良い香りが立つといいます。
地元に伝わった貴重なお像なので、いつか皆さんの目に触れられるよう修理したいと思います。

 

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私が横浜市歴史博物館に美術担当として着任したのは昨年の4月で、ちょうど1年になります。
美術の担当は二人いて、先輩が絵画、私が彫刻を担当しています。
その他に学芸員は考古が1名、民俗が2名、近世が2名、中世1名、合計8名が所属しています。

 

仏像史から見るとわかりやすいのですが、横浜は独特の歴史をたどったところで、古代は都から離れた辺境地でしたが、中世に入り鎌倉に政治の中心が移ると、そこが文化の中心地となって、横浜もその周辺地として一気に文化水準が高まりました。
文化財に指定されている仏像は金沢区を中心に、やはり鎌倉に近いところに多くありますね。

 

当館で勤務する以前から横浜市文化財調査員に加えてもらっていたのですが、当館では令和2年に「横浜の仏像―しられざるみほとけたち」と題して横浜市50年間の文化財調査の成果をまとめた特別展が開催されました。

 

 

この展示の入口でみなさまを迎えていたのが、泉区の向導寺(こうどうじ)に伝わった阿弥陀如来像です。
平安時代後期、11世紀に造られた木彫像で、横浜市指定文化財第一号でもあります。
関東大震災で大破し、長らくバラバラの状態で保存されていたものが、展示にあわせて再調査され、仮組みの姿でお出ましいただきました。

 

 

再調査前のバラバラで痛ましい様子を、展示を担当した先輩学芸員から聞いていますが、この像を目にした多くの方が同じように感じたのか、会期中は修理のためにたくさんのご寄付が集まりました。

 

 

令和4年度になって修理がはじまり、向導寺ご住職や横浜市文化財審議会委員の先生などと何度も協議を重ねながら作業が進められて、先日無事に終了したところです。
各部材が組み直され、平安後期の優美なお姿を取り戻しました。お披露目はすこし先になりますが、楽しみにお待ちいただけたらと思います。

 

 

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地域に密着した調査をし、講演する花澤さん
 

当館に来る以前の仕事は調査と報告がメインで、それを多くの人に分かりやすく伝えることをあまりやってきませんでした。
展示のキャプションなどで、学術的なことを誰が見ても分かるような平たい文章にして伝えるのは難しいですね。
講座の仕事もなかなか慣れません。
もともと学校の先生になろうと思っていましたが、教育実習の時に人前で話すのが苦手と気づき、研究の道にシフトチェンジしたんです。
そして学芸員になってみたら人前でしゃべることがこんなに多いんだ! って驚いています(笑)。

 

博物館では「実物」を見ることができます。
特に立体物は写真と全く違う印象を受けると思うので、ぜひ実物を近い距離感で見ていただきたいです。

   

 

今年2023年の5月からは楽しく考古学を学べる体験型の企画展「君も今日から考古学者! ―横浜発掘物語2023」が、7月からは「めだかの学校」などを作曲した中田喜直を紹介する特別展「生誕百年 中田喜直展」を開催します。
近郊の方はぜひご来館ください。

 

<プロフィール>

花澤明優美
横浜市歴史博物館学芸員横浜市文化財調査調査員。
1993年生まれ。清泉女子大学大学院人文科学研究科人文学専攻博士課程満期退学、2022年より現職。

Vol.2 長谷寺 観音ミュージアム 宗藤健さん

博物館や美術館で活躍する学芸員の皆さんに、おすすめの収蔵品やお仕事について伺う「学芸員さんに聞きました」。

第2回目は、鎌倉長谷寺観音ミュージアム学芸員、宗藤健さんです。

(以下、宗藤さんのお話)

 

当館所蔵の像の中で私のイチオシ像はこちら、「木造 弁才天坐像」です。

江戸時代の長谷寺の略縁起に、大黒天と並び「弘法大師御作の像」と記されているものと考えられます。

「もともと長谷寺の岩屋に安置されていた」と書かれていて、岩屋というのは下の境内の洞窟、弁天窟のことだと思われます。  

 

木造 弁才天坐像 観音ミュージアム所蔵

 

ふっくらとしたお顔や粘り気のあるような衣文など、個人的には江戸時代にたくさん造られ定型化したお人形っぽい弁天様とは少し違っているような気がしていて、室町時代後期あたりまで遡ることができるのではないか、とも思っています。

近世の八臂弁才天には表現が強いものが多いのですが、顔立ちが端正でバランスも良く、彫刻としてのスキのなさ、破綻のなさが全体から見てとれますね。

洞窟という極めて湿度の高い場所にあったにもかかわらず保存状態がとても良く、そのまま安置されていたとは考えにくいので、祠のようなものを作り、さらに厨子を置いて、その中に安置していたのではないかと思います。

 

厨子の中が良く見えるようにレフ版を置くのも学芸員の方のアイデア

いろいろな持物を持っていますが大半は後補だと思います。

左手第一手の四角い物は財福を象徴する鍵で、弁才天=弁「財」天信仰に何が求められていたのかがよく分かりますね。

精緻につくられた宝珠型の頭飾や鳥居は、おそらく当初のものではないでしょうか。

 

今の弁天窟には近代に彫刻された弁才天と15人の童子の浮彫がありますが、その前にはこちらの出世弁才天が置かれていたのではないかと思います。

「出世」という言葉はもともと仏教的には「世間を出る=出家して悟りを得る」という意味で、出家した人たちを励ます神様というのが本来でしょう。

江戸時代には現代の用法通り「立身出世」の意味を持ち、それを願う庶民の神さまになっていたんでしょうね。

 

こちらは弁天窟横の、八臂弁才天が祀られる弁天堂

 

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当館は2015年に長谷寺宝物館から現在の観音ミュージアムにリニューアルしました。

これは単に長谷寺の宝物をお見せしますよというのではなく、もっと広く観音信仰に関する博物館として、それにまつわる情報や遺物を収集、蓄積、調査研究し、その成果を発信することを目指したものです。

 

 

長谷寺の境内にあるのでお参りのあとにいらっしゃる方も多く、そうした意味で当館は一般の博物館と異なり、信仰の場としての機能を兼ね備えているといえます。

当館の起源は明治時代の宝物陳列所に遡るので、当初はお参りの場としての性格が濃かったのではないでしょうか。

鑑賞される方のお気持ちによって、それぞれにありがたみを感じていただければいいのではないかと思います。

 

ミュージアムグッズのデザインも手がける宗藤さん。

「夜光るかのんちゃん御朱印」(写真右)は、自作のイラストが蓄光塗料で光る。

 

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展覧会などへ行くと、例えば天井だったり、展示ケースの隅のほうを見てしまうのは「学芸員あるある」かも知れません。

照明やパーテーションの仕切り方、電気の供給源、キャプションの出し方や素材などなど……お金がかかっている感じだと羨ましく思います(笑)。

展覧会ではメモを取りながら見ることも多いのですが、考古学の人が野外の調査でよく使う「野帳」という緑の表紙の固いノートを使っています。

野帳ミュージアムグッズとしていろいろな館で作られていますが、見ると欲しくなってしまって必ず買いますね。

 

宗藤さん愛用の野帳

 

2019年に館の業務の一環として、坂東三十三所のデータベース作りに携わらせていただいたのをきっかけに、2020年に『吾妻鏡』の観音巡礼関係記事に関する論文を発表することができました。

それ以来、主に東日本をフィールドとして、文字で書かれた説話や縁起と、巡礼や造像との関係についての研究を続けています。

おかげさまで2023年度は、鹿島美術財団の「美術に関する調査研究助成」に採択していただくことができました。

若手研究者の登竜門的な助成制度なので、この機会に東国の観音信仰についての研究を進展させたいと考えています。

 

霊験寺社のご縁起というのはバリエーションがたくさんあって、江戸時代の版本(印刷されたもの)や鎌倉・室町時代の写本など形態もいろいろで、内容も多岐にわたります。

 

 

勧進、布教のために作られたものなので、昔の時代のものにしては割と読みやすい字で書かれていることが多いんです。

人びとが神仏に何を期待していたのかがすごくリアルに分かるし、似たようなお話のパターンが見えてくると、あそことここは信仰圏がつながっているのかなとか、また説話に描かれた人物のエピソードを通して各時代の人間の理想像を見ることができるのが寺社縁起の面白いところですね。

どの時代も生活の悩みや苦労があって、それを救ってもらう神仏にはこういうパワーを持った存在であって欲しいとか。

それぞれ自分の境遇に重ね合わせ、何かしら生きる力みたいなものをもらっていたんだろうなと想像しています。

 

<プロフィール>

 

宗藤健

観音ミュージアム学芸員

1985年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了、2017年より現職。

Vol.1 長谷寺 観音ミュージアム 平井理恵さん

博物館や美術館で活躍する学芸員の皆さん。

文化財の保護や解説に携わる彼らに接する機会はなかなかありませんが、仏像を愛する私たちにとって欠かせない存在です。

そんな学芸員の方におすすめの収蔵品やお仕事について伺うこのブログ「学芸員さんに聞きました」。

第一回目を飾るのは、鎌倉長谷寺観音ミュージアム学芸員、平井理恵さんです。

(以下、平井さんのお話)

 

当館の所蔵品の中で私のイチオシはこちら、「木造 勢至菩薩坐像」です。

 

木造 勢至菩薩坐像 観音ミュージアム所蔵

 

14世紀、室町時代くらいの作と考えられる仏像で、どういったご縁でこの長谷寺に来たものかは未だによく分かっていません。

現在の阿弥陀堂にある阿弥陀如来像の脇侍だったのではないかとも言われており、そういったところを探るのが面白く、いま研究を続けています。

 

長谷寺阿弥陀堂阿弥陀如来

 

こちらの像、袖の下がパツンと切れて断面になっています。

ここが断面になっているということは、この像が法衣垂下(ほうえすいか)式像という種類の仏像であったと考えられます。

修理などの際に台座を替える必要性などがあって、バツンと切られてしまったんではないかと思います。

 

法衣垂下の像は、ここ鎌倉では覚園寺さんをはじめ作例が4つしかなく、この勢至菩薩像をそこに加えることができるんじゃないかと。

そうなると像の文化財的価値が上がり、指定文化財となる可能性も出てきます。

法衣垂下でなかったとしたら、もっと滑らかに造るはずなんですよね。

後の時代に、管理が難しかったり人が手で触れ折ってしまった、などの理由で法衣の部分が断ち切られることはあることなんです。

 

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私は主に文化財の温湿度管理を担当しています。

収蔵庫内、ミュージアム館内、ケース内の温湿度管理ですね。

これが少しでも狂うと後々、例えば100年後に朽ちてしまうようなリスクが高くなります。

100年後、200年後も皆さんに楽しんでいただけるように管理をすることが仕事のひとつです。

 

データロガーを使って温湿度を管理する

 

季節によってもやり方が変わるんですが、当館では冬は加湿器、夏は除湿器を入れて、木彫像であれば60%台、掛軸など紙物は50-55%くらいで湿度を管理しています。

プラスマイナス5%の許容はありますが、できればぴったり合わせておきたいですね。

開館前にケース内の換気をして湿度を入れたりもします。

本当は閉館後に全部開放しておきたいのですが、万一震災があった時のことを考えるとそれもできないんです。

温度は人間の適温の20度に合わせていて、来館者の方にもちょうどいい温度です。

特に湿度はかなりシビアに見るのでやはり大変で、他の学芸員の皆さんも苦労されているところだと思います。

 

掛軸と木彫仏を同じケースに展示することがあるのですが、紙と木彫はそれぞれ適した湿度が違うのでとても気を遣います。

私は仏像を専門的に学んできたので、やはり仏像はかわいがってしまいますね(笑)。

 

学芸員の方がとても気を遣うという、異なる素材を組み合わせた展示

 

他館を見に行くと、どういうふうに展示しているのかやはり気になりますね。

例えば絵巻の巻き始めには筒状の空間ができますが、その処理の仕方が館によって全然違ったりします。

学芸員的にはあまり見られたくない部分かもしれませんが、温湿度はつい見てしまいますね。

(湿度が)ピッタリだと思えば、じゃあどんな加湿器を使っているのかな?とか(笑)。

 

湘南の海を見渡す境内は絶好のフォトスポット

 

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コロナ禍になってから、お客様と対面したご案内がなかなかできませんが、ミュージアム内に限らず長谷寺全体を学芸員が紹介する「境内案内」も行っています。

お申し込みいただければ、より詳しい解説をお聞きいただけますよ。

*境内案内は寺務所扱いとなり、事前申請が必要です。詳細は長谷寺宛に電話でお問い合わせください。

観音ミュージアムのマスコット、かのんちゃん。グッズ展開も予定している

公式ツイッターこちら

@kannon_museum

 

 

<プロフィール>

平井理恵

観音ミュージアム学芸員

1992年生まれ。実践女子大学大学院文学研究科美術史学専攻修了、2017年より現職。