isumu 学芸員さんに聞きました

なかなかお会いできない学芸員の方にお話を伺うブログです

Vol.9 総本山善通寺 宝物館 松原潔さん

弘法大師 空海の誕生地として知られる香川県善通寺市にある真言宗善通寺派総本山 善通寺は、京都の東寺、和歌山の高野山と並ぶ弘法大師三大霊跡の一つ。

創建以来、弘法大師信仰の聖地として参拝者を集める、西日本を代表する古刹です。

広大な敷地内の西院に位置する宝物館で、国宝を含む約2万点もの貴重な文化財を管理する学芸員の松原潔さんにお話しを伺いました。

(以下松原さんのお話)

 

善通寺の宝物館の創設は1907(明治40)年。

お寺の宝物館としては早い例だと思います。

現在の建物は1973(昭和48)年の開館で、当館向かって左手にある蔵造りの建物が初代の宝物庫となります。

こちらは一般公開していませんが建物としては立派なもので、天井の細工など明治のままの姿が残っているんですよ。

 

善通寺の創建は平安時代はじめの807(大同2)年で、この地で生誕された弘法大師空海が建てたと伝わります。けれど実は当山ではもっと古いものがたくさん見つかっていて、どうやら空海を輩出した佐伯氏の氏寺があったようなんです。

弘法大師が生まれた頃の当地の文化水準を明らかにすることで、弘法大師が「確かにここにいた」ことを間接的にでも伝えられるのではと思っています。

その使命の上で一番重要だと思われるものが、この「如来像頭部」です。

 

粘土で作られた仏様というのは、白鳳時代から天平時代にかけてさかんに制作されました。

うねった目やへの字に結んだ口元、豊かな頬の肉どりなど威厳のあるお顔立ちで、東大寺法華堂の不空羂索観音など天平時代の仏様と共通する要素が多いのではないかと思うのです。

1558年、善通寺は大きな兵火でほぼ全焼し(三好実休の兵火)、創建期のご本尊はこの頭部のみが残されました。

江戸時代はじめ、復興の寄進を募るため江戸で出開帳を行った際の記録『霊仏宝物目録』の筆頭にこの像が「土佛薬師如来」と記載されています。

おそらく弘法大師に最もゆかりの深い創建期の像ということで、当時は一番重要な宝物と考えられていたようです。

 

1/3サイズの全身復元像

損傷の激しいこのお像が実際にはどんな姿だったのか、1/3サイズで全身の復元を試みたものがこちらです。

興福寺の阿修羅の復元など、捻塑像の技法に詳しい愛知県立芸術大学名誉教授の山﨑隆之先生に監修・制作していただきました。

体の部分は残念ながら残っていないので、頭部のサイズを勘案し蟹満寺の釈迦如来坐像の服制(衣服に関する制度・規則)などを参考に作られました。

古い薬師如来は薬壺を持たない作例が多く、こちらも薬壺を持たない薬師如来としています。

中に木芯と藁縄を入れ粘土を貼り付けていくという、当時の捻塑像*の技法で作ってもらいました。

*捻塑像…塑像・脱乾漆造・木芯乾漆造など、素材を盛り上げて造る像のこと

鎌倉時代の記録に薬師三尊と書かれているものもあり、その脇侍に当たる可能性もあります。

でも髪際(はっさい)が連弧状になっていたり、髪の毛筋(けすじ)彫りがなかったりと、古い時代の菩薩像の特徴が見られないため如来像だったと考えられます。

三尊像の菩薩だと如来の両脇にあるので、顔が右向きか左向き、どちらかに向くことが多いのですが、山﨑先生の試作によるとやはり脇侍ではなく、中尊であった可能性が高いということです。

 

こちらは善通寺で最も重要な寺宝、金銅錫杖頭です。

当山が所蔵する国宝2点のうちの一つで、弘法大師空海が唐に渡った際、師匠の恵果(けいか)阿闍梨から授かったという伝承があります。

錫杖というと簡素なものがほとんどですが、こちらは表裏5体ずつ計10体の仏様が表される豪華な造りです。

 

すべて鋳造で、光背も表裏別造です。

仏像は数センチと小さいので裏表一鋳で造ってしまえば簡単でしょうが、わざわざ別々に造られ光背は透かしになっているんです。

表面は定印を結ぶ阿弥陀如来坐像、裏面は判然とはしませんが来迎印の阿弥陀如来立像のようです。

中国では来迎印の類例は未だ確認されておらず、中国における現存唯一の作例の可能性があります。 

こちらは重文指定の地蔵菩薩像です。

定朝様式の典型ともいえる非常に優しいお顔をされています。

側面から見ると奥行が浅く、猫背になっているところも定朝様式の特徴ですね。

 

仏像の楽しみ方のひとつとして、立体の面白さがあります。

正面から見ると量感があるように見えても、横にまわると意外とペッタンコだったり。

おそらく正面から側面にかけての面のとり方が急激でなくゆったりと曲げていくという彫り方をすると、そういう量感が出るのかなと。

水野敬三郎先生のご著書で読んだのですが、仏像には「虚」の体型と「実」の体型というものがあるそうです。

定朝様式の仏像は「虚」の体型にあたるのですが、この姿勢は仏と観想するときの呼吸法とも関係していて、息を吐いた時の状態をあらわしているといいます。

この姿勢にはちゃんと意味があるんですよね。

やわらかい印象も含めすべてが連動していて、そういったものが優れた仏像の特徴のひとつかもしれないですね。

 

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宝物館の所蔵品に関してはある程度環境が保たれていますが、実際にお寺で使われている仏様や仏具など、いずれ文化財となるものは保存と活用の兼ね合いが難しいところです。

礼拝(活用)することを基本にしていますが、どのタイミングで使用を中止し宝物館へ移すのか、本当に難しいです。

文化財の保存状態を常にチェックし、可能な限り活用する手伝いというのも、寺院の宝物館としては重要な仕事なんです。

 

牡丹図屏風という古い屏風があって、式典などで実際に使っていたんです。

痛みが激しいので修理の相談があったのですが、桃山時代から江戸時代初頭のものだとわかり、すぐ宝物館へ移しました。

そういうものがまだまだ出てくる可能性があるんですよね、文化財級のものが(笑)。

こうした新しい発見をしたときは楽しいですね。

把握に努めていますが、修理するとなるとやはり簡単じゃないんです。

修理の必要なものが200~300点は所蔵庫に眠っています。

 

<プロフィール>

松原 潔 (まつばらきよし)

善通寺宝物館学芸員京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。

2007年から現職