isumu 学芸員さんに聞きました

なかなかお会いできない学芸員の方にお話を伺うブログです

Vol.3 横浜市歴史博物館 花澤明優美さん

弥生時代の環濠集落、大塚・歳勝土遺跡公園に隣接する横浜市歴史博物館
原始(縄文時代)から近現代までの横浜の通史を展示する博物館です。

こちらで美術(彫刻)担当として勤務する花澤さんにお話を伺いました。

(以下、花澤さんのお話)

 

当館に仏像は多くないのですが、常設展でいつでも見られるのがこちらの十王像と奪衣婆(だつえば)像です。

 

 

横浜市港北区の興禅寺(こうぜんじ)というお寺にあった像で、慶長3(1598)年制作のものであることが分かっています。
修理が必要なため本物は収蔵庫にあって、今は複製を展示しています。
十王というのは人の死後、生前の行いを裁く十人の審判で、奪衣婆は死者の死装束をはぎ取る老婆の鬼です。
 

生前の行いを断罪する檀拏幢(だんだどう)

 

左上にあるのは檀拏幢と言って、閻魔大王のシンボルです。
死者の罪が重いと憤怒の男相の口が火を噴き、善行が多いと柔和な女相から良い香りが立つといいます。
地元に伝わった貴重なお像なので、いつか皆さんの目に触れられるよう修理したいと思います。

 

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私が横浜市歴史博物館に美術担当として着任したのは昨年の4月で、ちょうど1年になります。
美術の担当は二人いて、先輩が絵画、私が彫刻を担当しています。
その他に学芸員は考古が1名、民俗が2名、近世が2名、中世1名、合計8名が所属しています。

 

仏像史から見るとわかりやすいのですが、横浜は独特の歴史をたどったところで、古代は都から離れた辺境地でしたが、中世に入り鎌倉に政治の中心が移ると、そこが文化の中心地となって、横浜もその周辺地として一気に文化水準が高まりました。
文化財に指定されている仏像は金沢区を中心に、やはり鎌倉に近いところに多くありますね。

 

当館で勤務する以前から横浜市文化財調査員に加えてもらっていたのですが、当館では令和2年に「横浜の仏像―しられざるみほとけたち」と題して横浜市50年間の文化財調査の成果をまとめた特別展が開催されました。

 

 

この展示の入口でみなさまを迎えていたのが、泉区の向導寺(こうどうじ)に伝わった阿弥陀如来像です。
平安時代後期、11世紀に造られた木彫像で、横浜市指定文化財第一号でもあります。
関東大震災で大破し、長らくバラバラの状態で保存されていたものが、展示にあわせて再調査され、仮組みの姿でお出ましいただきました。

 

 

再調査前のバラバラで痛ましい様子を、展示を担当した先輩学芸員から聞いていますが、この像を目にした多くの方が同じように感じたのか、会期中は修理のためにたくさんのご寄付が集まりました。

 

 

令和4年度になって修理がはじまり、向導寺ご住職や横浜市文化財審議会委員の先生などと何度も協議を重ねながら作業が進められて、先日無事に終了したところです。
各部材が組み直され、平安後期の優美なお姿を取り戻しました。お披露目はすこし先になりますが、楽しみにお待ちいただけたらと思います。

 

 

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地域に密着した調査をし、講演する花澤さん
 

当館に来る以前の仕事は調査と報告がメインで、それを多くの人に分かりやすく伝えることをあまりやってきませんでした。
展示のキャプションなどで、学術的なことを誰が見ても分かるような平たい文章にして伝えるのは難しいですね。
講座の仕事もなかなか慣れません。
もともと学校の先生になろうと思っていましたが、教育実習の時に人前で話すのが苦手と気づき、研究の道にシフトチェンジしたんです。
そして学芸員になってみたら人前でしゃべることがこんなに多いんだ! って驚いています(笑)。

 

博物館では「実物」を見ることができます。
特に立体物は写真と全く違う印象を受けると思うので、ぜひ実物を近い距離感で見ていただきたいです。

   

 

今年2023年の5月からは楽しく考古学を学べる体験型の企画展「君も今日から考古学者! ―横浜発掘物語2023」が、7月からは「めだかの学校」などを作曲した中田喜直を紹介する特別展「生誕百年 中田喜直展」を開催します。
近郊の方はぜひご来館ください。

 

<プロフィール>

花澤明優美
横浜市歴史博物館学芸員横浜市文化財調査調査員。
1993年生まれ。清泉女子大学大学院人文科学研究科人文学専攻博士課程満期退学、2022年より現職。

Vol.2 長谷寺 観音ミュージアム 宗藤健さん

博物館や美術館で活躍する学芸員の皆さんに、おすすめの収蔵品やお仕事について伺う「学芸員さんに聞きました」。

第2回目は、鎌倉長谷寺観音ミュージアム学芸員、宗藤健さんです。

(以下、宗藤さんのお話)

 

当館所蔵の像の中で私のイチオシ像はこちら、「木造 弁才天坐像」です。

江戸時代の長谷寺の略縁起に、大黒天と並び「弘法大師御作の像」と記されているものと考えられます。

「もともと長谷寺の岩屋に安置されていた」と書かれていて、岩屋というのは下の境内の洞窟、弁天窟のことだと思われます。  

 

木造 弁才天坐像 観音ミュージアム所蔵

 

ふっくらとしたお顔や粘り気のあるような衣文など、個人的には江戸時代にたくさん造られ定型化したお人形っぽい弁天様とは少し違っているような気がしていて、室町時代後期あたりまで遡ることができるのではないか、とも思っています。

近世の八臂弁才天には表現が強いものが多いのですが、顔立ちが端正でバランスも良く、彫刻としてのスキのなさ、破綻のなさが全体から見てとれますね。

洞窟という極めて湿度の高い場所にあったにもかかわらず保存状態がとても良く、そのまま安置されていたとは考えにくいので、祠のようなものを作り、さらに厨子を置いて、その中に安置していたのではないかと思います。

 

厨子の中が良く見えるようにレフ版を置くのも学芸員の方のアイデア

いろいろな持物を持っていますが大半は後補だと思います。

左手第一手の四角い物は財福を象徴する鍵で、弁才天=弁「財」天信仰に何が求められていたのかがよく分かりますね。

精緻につくられた宝珠型の頭飾や鳥居は、おそらく当初のものではないでしょうか。

 

今の弁天窟には近代に彫刻された弁才天と15人の童子の浮彫がありますが、その前にはこちらの出世弁才天が置かれていたのではないかと思います。

「出世」という言葉はもともと仏教的には「世間を出る=出家して悟りを得る」という意味で、出家した人たちを励ます神様というのが本来でしょう。

江戸時代には現代の用法通り「立身出世」の意味を持ち、それを願う庶民の神さまになっていたんでしょうね。

 

こちらは弁天窟横の、八臂弁才天が祀られる弁天堂

 

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当館は2015年に長谷寺宝物館から現在の観音ミュージアムにリニューアルしました。

これは単に長谷寺の宝物をお見せしますよというのではなく、もっと広く観音信仰に関する博物館として、それにまつわる情報や遺物を収集、蓄積、調査研究し、その成果を発信することを目指したものです。

 

 

長谷寺の境内にあるのでお参りのあとにいらっしゃる方も多く、そうした意味で当館は一般の博物館と異なり、信仰の場としての機能を兼ね備えているといえます。

当館の起源は明治時代の宝物陳列所に遡るので、当初はお参りの場としての性格が濃かったのではないでしょうか。

鑑賞される方のお気持ちによって、それぞれにありがたみを感じていただければいいのではないかと思います。

 

ミュージアムグッズのデザインも手がける宗藤さん。

「夜光るかのんちゃん御朱印」(写真右)は、自作のイラストが蓄光塗料で光る。

 

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展覧会などへ行くと、例えば天井だったり、展示ケースの隅のほうを見てしまうのは「学芸員あるある」かも知れません。

照明やパーテーションの仕切り方、電気の供給源、キャプションの出し方や素材などなど……お金がかかっている感じだと羨ましく思います(笑)。

展覧会ではメモを取りながら見ることも多いのですが、考古学の人が野外の調査でよく使う「野帳」という緑の表紙の固いノートを使っています。

野帳ミュージアムグッズとしていろいろな館で作られていますが、見ると欲しくなってしまって必ず買いますね。

 

宗藤さん愛用の野帳

 

2019年に館の業務の一環として、坂東三十三所のデータベース作りに携わらせていただいたのをきっかけに、2020年に『吾妻鏡』の観音巡礼関係記事に関する論文を発表することができました。

それ以来、主に東日本をフィールドとして、文字で書かれた説話や縁起と、巡礼や造像との関係についての研究を続けています。

おかげさまで2023年度は、鹿島美術財団の「美術に関する調査研究助成」に採択していただくことができました。

若手研究者の登竜門的な助成制度なので、この機会に東国の観音信仰についての研究を進展させたいと考えています。

 

霊験寺社のご縁起というのはバリエーションがたくさんあって、江戸時代の版本(印刷されたもの)や鎌倉・室町時代の写本など形態もいろいろで、内容も多岐にわたります。

 

 

勧進、布教のために作られたものなので、昔の時代のものにしては割と読みやすい字で書かれていることが多いんです。

人びとが神仏に何を期待していたのかがすごくリアルに分かるし、似たようなお話のパターンが見えてくると、あそことここは信仰圏がつながっているのかなとか、また説話に描かれた人物のエピソードを通して各時代の人間の理想像を見ることができるのが寺社縁起の面白いところですね。

どの時代も生活の悩みや苦労があって、それを救ってもらう神仏にはこういうパワーを持った存在であって欲しいとか。

それぞれ自分の境遇に重ね合わせ、何かしら生きる力みたいなものをもらっていたんだろうなと想像しています。

 

<プロフィール>

 

宗藤健

観音ミュージアム学芸員

1985年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了、2017年より現職。

Vol.1 長谷寺 観音ミュージアム 平井理恵さん

博物館や美術館で活躍する学芸員の皆さん。

文化財の保護や解説に携わる彼らに接する機会はなかなかありませんが、仏像を愛する私たちにとって欠かせない存在です。

そんな学芸員の方におすすめの収蔵品やお仕事について伺うこのブログ「学芸員さんに聞きました」。

第一回目を飾るのは、鎌倉長谷寺観音ミュージアム学芸員、平井理恵さんです。

(以下、平井さんのお話)

 

当館の所蔵品の中で私のイチオシはこちら、「木造 勢至菩薩坐像」です。

 

木造 勢至菩薩坐像 観音ミュージアム所蔵

 

14世紀、室町時代くらいの作と考えられる仏像で、どういったご縁でこの長谷寺に来たものかは未だによく分かっていません。

現在の阿弥陀堂にある阿弥陀如来像の脇侍だったのではないかとも言われており、そういったところを探るのが面白く、いま研究を続けています。

 

長谷寺阿弥陀堂阿弥陀如来

 

こちらの像、袖の下がパツンと切れて断面になっています。

ここが断面になっているということは、この像が法衣垂下(ほうえすいか)式像という種類の仏像であったと考えられます。

修理などの際に台座を替える必要性などがあって、バツンと切られてしまったんではないかと思います。

 

法衣垂下の像は、ここ鎌倉では覚園寺さんをはじめ作例が4つしかなく、この勢至菩薩像をそこに加えることができるんじゃないかと。

そうなると像の文化財的価値が上がり、指定文化財となる可能性も出てきます。

法衣垂下でなかったとしたら、もっと滑らかに造るはずなんですよね。

後の時代に、管理が難しかったり人が手で触れ折ってしまった、などの理由で法衣の部分が断ち切られることはあることなんです。

 

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私は主に文化財の温湿度管理を担当しています。

収蔵庫内、ミュージアム館内、ケース内の温湿度管理ですね。

これが少しでも狂うと後々、例えば100年後に朽ちてしまうようなリスクが高くなります。

100年後、200年後も皆さんに楽しんでいただけるように管理をすることが仕事のひとつです。

 

データロガーを使って温湿度を管理する

 

季節によってもやり方が変わるんですが、当館では冬は加湿器、夏は除湿器を入れて、木彫像であれば60%台、掛軸など紙物は50-55%くらいで湿度を管理しています。

プラスマイナス5%の許容はありますが、できればぴったり合わせておきたいですね。

開館前にケース内の換気をして湿度を入れたりもします。

本当は閉館後に全部開放しておきたいのですが、万一震災があった時のことを考えるとそれもできないんです。

温度は人間の適温の20度に合わせていて、来館者の方にもちょうどいい温度です。

特に湿度はかなりシビアに見るのでやはり大変で、他の学芸員の皆さんも苦労されているところだと思います。

 

掛軸と木彫仏を同じケースに展示することがあるのですが、紙と木彫はそれぞれ適した湿度が違うのでとても気を遣います。

私は仏像を専門的に学んできたので、やはり仏像はかわいがってしまいますね(笑)。

 

学芸員の方がとても気を遣うという、異なる素材を組み合わせた展示

 

他館を見に行くと、どういうふうに展示しているのかやはり気になりますね。

例えば絵巻の巻き始めには筒状の空間ができますが、その処理の仕方が館によって全然違ったりします。

学芸員的にはあまり見られたくない部分かもしれませんが、温湿度はつい見てしまいますね。

(湿度が)ピッタリだと思えば、じゃあどんな加湿器を使っているのかな?とか(笑)。

 

湘南の海を見渡す境内は絶好のフォトスポット

 

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コロナ禍になってから、お客様と対面したご案内がなかなかできませんが、ミュージアム内に限らず長谷寺全体を学芸員が紹介する「境内案内」も行っています。

お申し込みいただければ、より詳しい解説をお聞きいただけますよ。

*境内案内は寺務所扱いとなり、事前申請が必要です。詳細は長谷寺宛に電話でお問い合わせください。

観音ミュージアムのマスコット、かのんちゃん。グッズ展開も予定している

公式ツイッターこちら

@kannon_museum

 

 

<プロフィール>

平井理恵

観音ミュージアム学芸員

1992年生まれ。実践女子大学大学院文学研究科美術史学専攻修了、2017年より現職。